HIRO T'S DIARY

● 1月後半の日記 ●

1月17日(金曜日)(阪神大震災から8年目の日)

神妙になりすぎるのでもなく、もちろん躁状態でもなく今日のボクの番組は「あの日」から8年。もう一度防災の面で足元を見つめ直してみようという意識で組み立てていった。とりたてて新しい何かを付け加えたわけではない。ただ意識の中で風化しがちな基本点をひとつづつおさらいしていったのだ。意識の刷り直しのお手伝いがちょっとでも出来たのではと思っている。(自分自身も含めて)

震災でも大変な経験をしたA-Showも7回目の登場で「シンジルモノハスクワレルラシイ」という曲をやってくれた。彼の震災経験はフロントページのリンクから彼のページに飛んで読んでください。

写真はA-Showのギターを持ってさるボク、それを見逃せへんでの目で見るA-Showである。深い意味は勿論無い!

1月21日(火曜日)
ナチュラルでいること。簡単そうでいてむずかしい。アーティスト小島麻由美はその難しいことを飄々とやっている。ものすごくうらやましい。出来ないからうらやましい。今日は先週リリースされたアルバム「愛のポルターガイスト」のお話しをしに来てくれた。いつもそうだが、ほっこりとさせてもらえた。3月にはライブもあるということだし久しぶりにマジ見に行きたくなった。しかしながら、それは日曜日の晩に予定されていて叶わぬ夢なのであった。また機会がやってくることもあるだろう。そんな日がやって来るまでBe Naturalの研鑽に努めることにしよう。
1月22日(水曜日)
今月のヘビーローテーションで渋いグルーブを聞かせてくれている高宮マキちゃんが初お目見え。川西出身で吉田直樹と高校の同級生と聞いてビックリした。だから突然キューをふったりしてビックリさせてあげた。やさしいのだ、ボクは。トークで感慨を覚えたのは彼女の人との出会い。勿論たっぷり以上のポテンシャルを持つアーティストであるが、現プロデューサーのクマさんに出会ったのがおっきいのだな、これが。イギリスにいて彼から伝授された「日本語」の大切さ。これはすごいよ。なんか、俺感動すら覚えたね。んま、とにかく今スタートしたばかりの彼女。素顔もとっても明るくてたのしい時間が過ごせた。あったかい目で彼女のこれからを見ていきたいと思った。やりよるで、きっと。
1月23日(木曜日)

雨模様の朝であった。7時台に出演予定のA-Showが合羽を着て6時半ぐらいにやって来た。雨に合羽は必需品なのだが、どう見ても生きているてるてる坊主にしか見えないのだ。動くてるてる坊主。それはそれで風情のあるものであった。

7時半過ぎにいつも通りほとんどトークをしないウイークリーライブをしてもらった。今日は「Positiveな凡人のBlues」というレパートリーであった。情感込めて、また琴線に響いた人も多いのではないであろうか?次回は来週水曜日の午前8時10分過ぎが出番である。初のカバーをやってくれるそうだ。たのしみ!まだ聞いたことのない人、ぜひお試しあれ。

1月24日(金曜日)

押尾コータロー、去年7月のメジャーデビュー以来久しぶりの登場である。その間にすごいことになっている。デビューアルバム3万枚でしょ、映画音楽監督でしょ、ほんで咲くやこの花賞受賞でしょ。すごすぎな〜い?(ここは平板読みでよろしく。)

番組は久しぶりだったがちょこちょこ会っているのでご無沙汰感はなかった。スタジオライブも2曲してもらった。今年は全国ライブと次のアルバム制作が当面の夢。じっくりとええもんを成就させてもらいたい。

記念撮影は後片づけに忙しい押尾担当片石・ザ・ツマミ・イジクリマンと共に。

1月28日(火曜日)

方法論。

目的達成への道はひとつではなく様々な方法がありそれを論ずること。人の思考は千差万別であり目的へのアプローチ方法をパターン化することは不可能である。何が正解であったかは遠い未来に立ってみないと判別できないことも多々ある。そして未来においても正解が見えないこともあるであろう。

人生で考えてみる。人はそれぞれの夢・希望を持って生きる。それを成就させたいと願いながら生きる。夢に近づく、もしくは到達するための方法論はどれが正解かなんて分かりっこない。ただ経験則から茫洋とではあるが感じるところがある。

人は海原にそっと置かれたヨットなのである。風がなければ帆走出来ないヨットである。経験のない蒼い頃には相当の風があってもうまく捕まえることすら出来ないものである。そして風は凪ぐ。じっと佇んで次に吹く風を待つ。夢を本気で追う意志のある者はその時「冗長に風を待つことは許されぬ。」と考える。そして何故あの時あの風をつかまえられなかったかを思索する。帆の大きさを増そうとする。帆布のほころびがないかと点検をする。更に意識の高い者はそよ風でもいい、それを最大の効果で受ける為にジブ・セールを取り付けて次の風を待つ。そしてその風が来た時には海原に航跡を残しながら究極の夢にほんの少しでも近づいていく。同じ風待ち状況に置かれても自分の持つ帆の面積の事も考えず、帆のほころび点検もせず、「風は自然のものなのだからいつか吹く。」と考え、「自分のヨットはディンギーではあるが、それでもそこそこの性能を備えているのだからきっとその内颯爽と走り出すのだ。」とも考えながら限りある人生の時間を徒に浪費してしまう者もいる。風待ちの時間。待つ身には永遠の時間のようにも感じられるはずだ。後者はそこでふぅふぅと帆に息を吹きかけてみる。帆を揺さぶって風を起こそうともする。そしてそれは現実的には時として後退をも意味するものなのである

そよ風が吹く。両者にどれぐらいの差が出るか。自明の理であろう。

動きたくても動けない。もしくは動かないのが人生である。「自力」は儚く、「他力」は想像を絶するほど強大である。不本意に思えても何らかの縁の許に自分が今置かれている立ち位置。そこでの時間は止まったようにも感じられる絶望の時間かも知れぬ。ただその中で自分をどう研鑽しているのかを「他力」は間違いなく俯瞰している。そして「他力」が置いた縁を能動的に断ちきることは自身を矮小化することに帰結する。因果は必ず応報するのだ。

述べてきたように人生は大方において「他力」である。ただ「自力」の無常さを知りながらも弛まぬ努力を継続する者には「他力」は底知れぬ効果を与える。究極の夢を手にする者は少ない。だがその夢を持った事を悔いることのない人生を歩める者はやはり「自力」における努力を最大限続ける者でありそれ故に「他力」が自分に及ぼうとする瞬間を見逃さぬ者なのであろう。そして夢に到達ならなかったとしても少なくともその生きた証を残すことが出来る者になるはずである。

蛇足ながら、また一方ではなんとかなってしまうのも人生である。この論は故に「自身の生きた証」を残そうとする者にのみ向けられたものである。

 

羽田徹。 上記にはない自分なりの方法論で再度「夢」を掴む為に本日我が社を去った。

ー檄ー
羽田よ、寺平の「論」を実践で叩き壊すのだ、何があっても・・・・
期待している。

 

1月29日(水曜日)

ウイークリーライブのA-Showさん、今朝も登場。いつも洋楽の懐かしい曲をオンエアしているコーナーで今回はマーヴィン・ゲイの "What's going on?" をやってくれた。やっぱごきげんだった。あんまりごきげんだったので思わずちっちゃく一緒に歌ってしまった。気持ちよかった。

もう何回目になるのであろうか?毎回写真を撮って、もうネタがない。だからこれからの出演予定を交渉しているところをこっそり撮ってみた。難航の様相を呈しているが意外にスルッと決まった。

因みに次回は2月4日火曜日の午前9時台の出演である。未体験の人、何があっても聴いてくださいね。

1月30日(木曜日)

米倉利紀、Yoneちゃん、通算10回目の登場である。2月にはニューアルバム"With You"もリリースされるし、4月にはそのフォローライブもあるのでそのあたりのお話しを伺うのが本来なのであるが、どうもYoneちゃんとは馬があってしまって話しが今日もあっちゃこっちゃへ飛んでしまうのであった。勿論押さえるところはちゃんと押さえているあたり相当のインタビュアーであることは論を待たない。

ちょっとほっぽらかしに伸ばしているというヘアスタイルも妙にさまになっていてYoneはいつもほんまにかっこいい。くやしいから負けんぐらいのほほえみで記念撮影をした。次回の逢瀬はいつになるのやら。今日も底抜けに楽しい時間をありがとうであった。

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