HIRO T'S DIARY
● 8月の日記 ●
8月2日(月曜日)(802の日なり!)

99年2月以来だから5年半ぶりに山弦の、小倉博和さんと佐橋佳幸さんが来てくれた。最新アルバム「Island Made」がもう5枚目になるという山弦さん、本当はめちゃめちゃ忙しいはずなのにとっても余裕の中で音を作ってる感じがする。時間に余裕が無くても「心」に余裕を持てればいいよね。ボクも見習いたいと思うなり。

スタジオライブ、生弦も2曲やってもらってごきげんだった。帰り際にボクのヴォーカルで「祇園の恋」をやってみたがオグちゃんのギターのヘッドが邪魔だった。背伸びをしたのでかろうじてボクのヘッドが出た。よかった〜。ファンになってしまいそうなあなたの為に、このユニットの名称は「山ヒロ弦」というのだ。ワハハ。

8月4日(水曜日)

いや、しかし、大人やねえ、南佳孝さん。今日で1996年、2000年に続いて3回目の登場。7月にリリースした5年ぶりのアルバム「Romantico」をひっさげてやってきてくれた。しかもギターまでひっさげてだぜ。ほんでスタジオライブも「Tristeza」ってごきげんなサンバの曲をかましてくれた。いや、ほんまにあれは,かましてくれたって感じだったよなあ。だって、俺が「1曲お願い出来ま・・」って言ってるところにくい込んで来るんだもんね。このヴァイブがたまらなかったよ。マジうれしい再会だった。「こんなかっこいい大人になろ!」って決心した。

え、もう充分大人やろって?トホッ。

9月15日はなんばHatchでライブあり。間違いなく見る価値ありだね。うん。

8月6日(金曜日)

明日ー色男で夏男ーツアーをクワトロでRocking Timeの今野英明さんと一緒にするBan Ban Bazarが5度目のゲストに来てくれた。ボクはミキシングもしているので卓の後ろの狭いスペースにこんだけの楽器を持ち込んでスタジオライブもしてくれた。ライブ野郎たちの演奏ってのはいつでもステキだ。明日クアトロに行けない人は彼らのライブ盤「オールナイト・ポテト・ロング」がリリースされているのでそちらで。また8月25日にはウクレレバージョンのCD「夏はあきらめた」もリリースされることになっている。

スタジオは狭すぎるので廊下で俺のリードヴォーカルでLionel Richieをカバーしてオールナイトロングをやった。さすが手練れのバンバン、完コピだった。わはは。

8月9日(月曜日)

先月「幸福宣言」ってシングルをリリースした吉田直樹くんが来てくれた。スタジオライブではカップリングの「オーマイカー」ってのをやってくれた。この曲、「車」って物なんだけどそれに感じる愛情ってのを素直に歌っていて俺は大好きだ。「物」を大切にする心、忘れてはいけないものだ。勿論、幸福宣言もたっぷりといい曲だ。応援してあげてくださいね。スタジオを去る前にボクのためだけに「幸福宣言」をやってくれてほんとにうっとりした。次回はどこかで彼とボーリングをして彼に別の「降伏宣言」もさせようと思っている。がはは。

今回の登場で吉田直樹は広沢タダシ、我那覇美奈を抜いて12回目の登場で出演回数単独3位に躍り出た。さて、今後は?

8月13日(金曜日)

98年以来約6年ぶりに福冨英明くんがやって来てくれた。その後も自分のペースで音楽活動、制作活動を続けているらしく笑顔は変わらずにステキだった。東京ではほぼ月1やっているというライブ、なかなか大阪では機会がなかったのだが、今夜難波に新しくできたライブ・カフェ「フラミンゴ・ジ・アルーシャ」でライブをすることになりそんな話にも花が咲いた。

夜、実はボクも彼のステージに飛び入り参加させてもらったのである。そして96年に一緒にデュエットさせてもらったバラード「Lovin' You」をステージで歌わせてもらった。久しぶりの彼の音楽と触れることが出来てボクはごきげんに幸せだった。

8月14日(土曜日)

丁度1年前の今日8月14日木曜日、早朝午前5時40分。小雨の中ボクはビニ傘をさしてチャリンコで国道1号線の歩道沿いをFM802に向かっていた。その時脇道から暴走オバチャリが飛び出してきた。よけきれなかった。右手でブレーキをしながら彼女のお腹にその手がめり込んだ。激痛。右手を見ると手の甲が手首からずれていた。本番まで20分、激痛にうめきながら彼女に異常がないかを聞く。当たりどころが良かったのか彼女は無事とのこと。ただ本番まで20分、これ以上の会話は無益である。「二度と飛び出すなよ!」と悲痛な声を投げかけ802に入る。スタッフに状況だけを説明して本番を開始。この事故に触れることはその日からずっとなかった。4時間の番組が終わる頃には右手が紫色に腫れボクシングのグローブをしているようだった。放送終了後、整形外科へ。レントゲンの結果は「右手首脱臼骨折」とのこと。一般的にはバートン骨折と言われているらしい。手術をして生涯外す必要のないチタンプレートを埋め込むとのこと。「すぐにしてください。でも番組に穴は開けられないので金曜日にしてください。」つまり翌日15日にして欲しいと要請。全身麻酔の検査などがあるので翌日は無理とのこと。鎮痛剤と副木を当てて1週間をそのまま過ごす。そして去年の8月22日金曜日一泊入院でチタンプレートの埋め込み手術をした。全身麻酔から目覚めたボクは激痛で一晩うなされていたのを昨日のように思い出す。そのチタンプレートが装着されたボクの右手首が下の2枚の写真だ。シュワちゃんもきっとびっくりするだろう。その後リハビリを開始した。週に3日、途中で2日になったとはいうものの往復の移動時間も含めて毎回平日午後だいたい3時間強を費やすリハビリ生活が始まった。自分の為だ、忙しい時間をやりくりしてとにかく通い詰めた。そして手首はかなり日常の運動に差し支えなく動くようになってきたのだが・・・・

中指と薬指の第一関節から先に例えようのない痺れが継続。そして手首を限界近くまで曲げると痛みを伴う違和感がいつまで経っても軽減されることはなかった。何度も主治医に相談するのであるが、的を射た回答をもらうことはなかった。今年6月、業を煮やして「いつまでリハビリを続けたらこの痺れと痛みが治るのかその目途だけでも教えて欲しい。」と詰め寄った。主治医はそれでも的確な回答をすることがなかった。

だからセカンド・オピニオンをもらいに行くことにした。

その答えは小気味よく明快であった。正中神経の癒着による麻痺により指先の痺れが発生。その痺れは再度手首を開いて癒着をほぐさないと取れないとのこと。ただ、初回の手術で正中神経に「傷」をつけていたらこの痺れとは一生つき合わないといけないとのこと。そしてどうせ手首を再切開するのだから骨はもう完璧に治っているからついでにプレートを外せば限界点で起きる痛みも取れるのではないかということ。以上の答えをもらった。そして再切開手術を受けることを決心した、それもセカンドオピニオンの先生の執刀で。スケジュールの都合上どうしても7月23日金曜日、つまり今年のミート・ザ・ワールド・ビートの2日前に手術をせざるを得なかった。だから今年のMTWBのステージ上のボクは「ドラえもん」の右手をしていたのだ。そして左の写真がボクの体内に1年近く入っていたチタンプレートとそのネジである。

2004年8月14日現在、まだ右手首はかなり熱をもって腫れている。だからこのプレート除去手術が成功であったのかどうかは不明である。それを知るには最低3ヶ月くらいの時間が必要だそうだ。ただ、今現在声を大にして言えることはボクとしては、やって良かった手術だったということ。イメージでしかないが、右手は間違いなく快方に向かうことであろう。

ミート・ザ・ワールド・ビートで「ドラえもん」の右手が何万人もの人の目に触れてしまったので、事故1周年の今日、自分自身の記録に留めるためにもこのグロテスクな写真たちを日記にアップした次第。上の左レントゲン写真ではチタンプレートを止めるネジが骨を突き破って出ているのに気づいてもらえると思う。

総括。

事故はいつどこで自分自身にふりかかってくるか判らない。でもそんな事故にあってしまった時、インフォームド・コンセントを含めて「ちゃんとした会話」ができる信頼のできるお医者さまを探すことが肝要。医者的マニュアルによると、一生外さなくてもいいプレートを埋め込む手術をしたとしても、10ヶ月経って患者の容態が後一歩のところで足踏みをしているとしたら医者の目線から言えば後戻りの手術であっても、勇気を持ってそのプレートを外す手術を勧める医者を捜すことだ。ボクはセカンドオピニオンでそんな「先生」に出会うことが出来た。

ひょっとして今「?」の気持ちを持ちながら医者にかかっている人がいるとしたら、セカンドオピニオンを取るというのは100%素人の患者サイドから見れば相当に有効な手段である。医者は超専門的な分野を担当するものであるから「絶対」であると考えがち。人にもよるが自分が「絶対」であると思いこんでる医者もいる。でも「絶対」はあり得ない。患者本人が様々な角度から「客観資料」を集めることは有効である。これがほぼ1年近くの「無為」な時間を「浪費」させられたボクがたどり着いた結論である。今現在「?」の気持ちで医者にかかっている人へのアドバイスになればと思いつつ。

8月20日(金曜日)

音楽を愛していて、ライブが大好きな女子2人組を探しなさいと言われたらボクはこのアナム&マキをやはり筆頭に挙げることだろう。31日にOsaka Museでワンマンをして、9月には京都と神戸でムッシュかまやつさんとライブをする彼女たちが来てくれた。今日で7回目の登場。初回から4年の月日が流れているが、彼女たちにとってのこの4年間は普通の人の40年分ぐらいの中身の濃さが詰まっているんだろうと思う。

スタジオライブは新曲「ピカピカ光ル」っていういい曲をやってくれた。ますます「こくと味」が増量中だ。ボクもラジオサイドの叔父としてサポートを続けるつもり。

今日はアナムがお誕生日。去り際にアニー・ディフランコもマッ青になるバージョンで「Happy Birthday」を歌ってあげたら尊敬された。

8月23日(月曜日)

Scoobie Dooからお馴染み小山シュウ、松木タイジロウの2人がやって来てくれた。3度目の登場になる。今回は先月リリースのメジャー2nd.Album"Beautiful Days"のプロモーションと10月14日BIG CATでのワンマンライブの告知を兼ねての登場であった。前2回と較べて「やや大人」モードで会話は弾んだ。(ややと言うとこがミソである。)いや、しかし楽しかった。

んが、「夜担当はいやだ!」と小山くんがごねだして、帰る前に本当に「コヤ・T's Mornig Jam」をしようとしたのでちょっと締め上げた。横では松木くんがヤンヤヤンヤの喝采をシュウに送って、やっぱり我々は変だった。以上。

8月30日(月曜日)

我那覇美奈ちゃん、12回目の登場。これは吉田直樹と並んでの第3位の成績であるが、しかしながら女性アーティストとしてはダントツの1位なのである。めでたい、めでたい。

9月23日にはニューシングル「砂の祈り」をリリースするのでやって来たのであるが、今回のこの曲は今年1月に水谷公生、春嵐、そして浜田省吾の3人がスタートさせた音楽制作チーム、Fairlifeが大きくかかわっていることでもかなりの話題になりそうだ。しかも彼らが我那覇美奈の歌声に惚れて歌いませんかとアプローチをしたそうな。やるじゃん、我那美。

ギターも特注を作って弾き語りなどもこなすというのでかなり腕っぷしも強くなったんだろうと、腕相撲をしてみたら腕っぷしが強くなっていた。おにょろいた。

8月31日(火曜日)

昨日RockKids802に出演した光永亮太くんが、今朝は番組には関係ないんだけど、次のプロモーション地に向かう前に「おはようございます。」の挨拶をしにきてくれた。何といういいヤツなんだ。でも俺は「惚れないぞ」。でも2nd.Album 「Independent」は応援するなり。

ここんとこ彼とは中国伝来順列組み合わせ合戦ってのをしていない。一度叩きのめしたからどうしてもリベンジがしたいらしい。今回も時間の関係で出来なかったがとにかくボク考案の2種類の牌の形をやってみた。俺は当然だが、亮太もなかなか堂に入っている。これは侮れないかもしれないぞ。

さて、2人の牌はそれぞれ何を表しているでせうか?判らんやろなあ。がはは。

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