HIRO T'S DIARY
● 1月後半の日記 ●

1月16日(月曜日)「反則」

50km制限の道を100kmで走って捕まれば反則で一発免停。
一方通行を逆走してるのがめっかれば、やっぱ反則で減点。
社会生活の中で、しちゃいけないことをやっちゃったらそれは「反則」。当たり前だ。

それが「げいじつ」の世界になれば反則を云々するのは難しい。
何故なら「表現」は完璧に自由を保障されるべきものだからだ。

最近「難病」をテーマにした映画などが非常に多くなってきた。
映画は2時間程度に凝縮された「バーチャル」の芸術。
その中に「難病」の持つ問題点を矛盾なく表現することは根本的に不可能であるとボクは思う。

家族にとっては永遠とも思える時間軸の中での葛藤を2時間程度のストーリーに 封じ込めるのはいたたまれない。
芸術の名を借りた安っぽい「涙」の強要ではないかと 憤りすら感じる。

だからこの手の表現はボク個人にとっては「反則」なのである。
ただひとつ去年公開された映画「君に読む物語」(The Notebook)はボクの中での例外であるが。

1月16日(月曜日)

Interesting Lady !! 今日ゲストに来てくれたアンジェラ・アキちゃんを英語で表現したらこうなるだろう。徳島で生まれてハワイに行って日本に帰ってきてシンガーソングライターにほぼ必然のようになって、そんな彼女の人生はそのものが聞いていて飽きないほど密度の高いものであろうと今朝インタビューをしながら、そしてスタジオライブを聞きながら感じた。

きっと心の引き出しの数もたっくさんあるであろうアンジェラ。次回はいつ会えるかまだはっきりしていないが、でもそんときもきっといろんなお話しに花が咲くことであろうと思った。

俺も実は相当鍵盤にはうるさいので彼女が帰る前に連弾をしてみた。いや、まあ、アバンギャルドだったわさ。

 

1月17日(火曜日)「たいせつな日」

11年前の今朝午前5時46分、ボクはFM802にいた。
その日ボクはFunky Jams 802のディレクターとしてキューを振っていた。
当時この番組は 午前3時からの3時間。だから地震の瞬間をボクは完璧に覚醒した状態で迎えたことになる。

地上8階のフロアが斜めに傾く中を自重100kgを超すテープレコーダーが滑り出す。
呆然の中、状況を把握することもできずに頭の中に完璧な「空白」が訪れる。

午前5時46分、その瞬間かかっていた曲が"Starshipの"Nothing's gonna stop us now" (愛はとまらない)
だったことは絶対に忘れない。

茫然自失のまま番組を終了。何をすることも出来なかった自分の非力をいやというほど思い知る。
自然災害の前で人は無力であるしかないのかと自身に問いかけながらそれでも防災意識の啓発を 続けた11年であった。
たいせつな日を風化させることだけはあってはならない。

その後「あの曲」がボクの番組でかかったことはまだない。

1月18日(水曜日)「心底怖い話」

幼い女の子の命を次々に奪い去った男、宮崎勤に「死刑」の判決が下った。
長すぎた裁判の結論は出た。しかし、遺族の無念は決して晴れることはない。
心からご遺族にお悔やみを申し上げると共に改めて被害者の少女たちのご冥福を祈る。

宮崎勤に関して普通の人なら絶対しない体験をボクはしている。
誰にも一度も話したことはないがこの機会に詳らかにしておく。

1986年、DJを始めて1年経った頃、ボクは東京で音楽テレビ番組の司会をしていたことがある。
宮崎の身柄が確保され、その後テレビのニュースで繰り返し映し出された彼の部屋の中に雑然と 積み上げられたビデオテープの数々があったのを記憶されておられる方も多いことだろう。

ボクのやっていた番組も彼の筆跡のインデックスが貼られ、その中に混ざっていた。

1月18日(水曜日)

のマド、山本敬子と中井優がやって来てくれた。22日にリリースされるニューアルバム「Smiles」のプロモーションを兼ねての登場でこれで3回目。とにかく自分たち2人でコツコツと音楽を積み重ねて、ず〜〜っとマイペースをキープしながらやりたい音楽をぼちぼちと続けている姿勢は今の時代に尊いものだと俺は思う。これからも「体温」を感じられる音をやり続けてもらおう。

寒さが厳しいとウエザーインフォメーションで言っていた。優くんに聞くと俺の番組を聞いてちゃんと重ね着をしてきたとのこと。だから寒さ対策の重ね着合戦をして遊んだ。でもスタジオの廊下は寒くなかったのを忘れていた。わは。

1月19日(木曜日)「あらっ?」

スキー。インストラクター。おっとこまえ。ラブラブ気分。会う約束。
やって来たのは「あらっ? なによ、これ。どう見てもカバじゃん!」なんてこと、よくあるようで。

自分の目ってのはこれくらい「状況」「雰囲気」なんかに左右されちまうもんらしい。
考えようによっては一番信用できないもの、それは「自分」なのかもしれない。

最近焼酎を修行中。
外で食事するたびに「おいしいのください。」と注文してあれやこれや言うのが楽しい。
先週創作和風割烹で女将が「島限定で外には出ないこれいかがですか?」と勧められた焼酎が めちゃくちゃおいしかった。焼酎独特のアタックのようなものが皆無でスルリと旨かった。 「これからこれ出してくださいね。」と女将に言ったら「島限定なのでもうこれで入荷は ないのです。すみません。」って返された。

銘柄を記憶してネット検索してみたら二千円台で入手可能。「うひゃひゃ、このXXXXXが、 まおうやもりいぞうやいさみになってしまう前に買い占めるのにゃ。うひゃひゃうひゃひゃ。」と 躁状態で焼酎バブルを夢見ながら6本まとめて注文。

なんと翌日に到着して大興奮。
「ネットってほんとに便利だにゃ〜。ネット大好きっだにゃ〜!」 とわめきながらマイムマイムを踊った。

そして早速晩酌に呑んでみた。

「あらっ?」

1月20日(金曜日)

明日、明後日といよいよ大学入試センター試験が行われる。

この試験に今年から英語のリスニングが加わるという。
50万人以上の受験生にICプレイヤーってのが支給されイヤホンを耳に一斉に同じ条件で試験されるのだそうな。

さて、イヤホン。

これは耳にひっかかって初めて役に立つものなのだが、ボクの耳にはそのひっかかりがなくてイヤホンをすれば決まってポロポロと落ちてしまう。情けないくらい見事にポロポロと落ちてイヤホンがボクの耳に5秒以上挿入されていたことはない。ボクが受験生ならきっと片耳は諦めて左耳の方だけを左手で押さえながら差し込んで、右手の鉛筆を答案用紙に走らせることになったのだろうなと思った。
こりゃ、たいへんだ。

明日からのセンター試験、受験生諸君には日頃の実力を遺憾なく発揮されることを願って止まない。
そして特にボクと同じような特殊な耳構造をお持ちの受験生諸君にはより一層のエールを贈りたい。

とにかくみんながんばるのだぞ!

1月23日(月曜日)「油断大敵」

時間は回る。クルクル回る。気づいたら1日が平気で終わっている。

どんなに忙しくても時間を捻出する事くらい出来ないと立派な社会人ではないとずっと思っていた。
だから事実時間をなんとか捻出もしてきた。しかし先週は忙しかった。いつも以上に忙しかった。
アッと言う間の1週間だった。

人はそれぞれの時間の基本パターンってのを持っている。
ボクの場合はやはりHiro T's Morning Jamという番組がそのパターンの中心点にある。
そこに時間をやりくりしてジム通いを週に最低2回、うまく行けば3回入れようとする。

なんとか時間を捻出出来たと思っても実は忙しさの方がそれを上回っていて先週は毎日を
中途半端に終わってしまったのが悔しくってしょうがない。

それもこれも全てボクがブタになってしまったのが原因である。カナシ〜〜〜ッ!

中途半端な日々に終止符を!今週は充実の1週間を演出しよう!
そしてそれを継続することにしよう!みなさんもそんな決心いかが?

1月24日(火曜日)「漢字のテスト」

物事が混乱し、もめている真っただ中のことを (かちゅう) と言います。
「政局の (かちゅう) に立つ人」「噂の (かちゅう) にある人」などと使います。
社会的に見てホリエモンさんあたりが正に今 (かちゅう) にある人と言えるでしょうね。

んじゃ、その (かちゅう) という漢字は?

もし「火中」とお書きになったのなら、あ〜たは学問的には見事に間違いです。
んな答えを書いているようじゃ、ホリエモンさんが通った東大には絶対入れませんわよ。
せいぜい燈台あたりが関の山じゃないっすかね、ブヒヒ。

多分、他人の利益の為に危険を冒す意の「火中の栗を拾う」と漢字だけを混同したのでしょう。
意味も全く違う諺だし、もっとお勉強しないといけませんことよ! ホホホ。

ただ、確かに「火中の人」と書くのは間違いなのだけど、今の彼の抜き差しならない状況を 見て「火がボーボー」と燃えている中に佇んでいるイメージを抱いてこう答えたとしたらそれも あながち「現実社会的」には間違いでもないのではと思ったりもします。

とってもわかりやすく、そして悲しい事件なのですが、彼の逮捕によって人の「業」というものを 再学習することが全人の急務であろうとも感じました。

さて (かちゅう)、 正解の漢字は?

自分の為に自身でちゃんと本になった国語辞典で調べましょう。
一気呵成にものごとを進めるのではなくコツコツを積み上げていくのが結局は一番と 今回の事案も暗示しているような気がします。国語辞典をひく姿勢は、だからこそ貴重なのです。

踊り「猫じゃ、猫じゃ」に無常の哲学を感じるカチューシャの人。

1月24日(火曜日)

去年11月にアルバム「Japanese Spoon」をリリースしてから毎月来てくれているベベチオの早瀬くん、平良くんが今朝も元気にやって来た。スタジオライブでは前のアルバムに入っている「橋をわたれば」をやってくれた。ゆらゆらと今朝もごきげんなライブであった。

左利きのベースもポール・マッカートニーと直接インタビューした男としては習得しておくべきであると常々思っていたボクはゲストが終わった平良くんに教えを乞うた。早瀬くんもロケンローラーのように背中ピッタリ攻撃で盛り上げてくれたが左指が攣った。平良くんの顔つきを見てもどうやら皆目のプレイヤーであるみたいだ。ま、何もかも出来すぎるのもあれなのでベースの左利きをマスターするのは止めておいてあげることにした。むふ。

1月25日(水曜日)「出る杭」

ライブドア堀江容疑者の逮捕に伴って「出る杭は打たれる」という表現を散見する。
この表現は100%間違いである。

特に学生諸君は絶対に使うべきではない。
ましてや打たれないでおこうと小さくまとまることなど罷りならぬ。

今回の事件は法に触れる行為をした疑いが濃厚になったので、その対象がしょっぴかれたというに過ぎない。触法行為をしていたであろう人間が目立ちすぎたので「出る杭」表現が使われるのであろうが、断じてそうではない。単純に触法行為が罰せられようとしているだけでたまたまその容疑者がものすごく目立っていたというに過ぎない。

若者は出る杭になるべきだとボクは思う。徹底的に出る杭になればいいと本気で思う。
いつも出しゃばる必要はないんだけど、社会人でも「出る杭」マインドだけは無くさない方がいいと思う。

そしてちょっと頭が高くなったら家族にでも世間にでも、とにかく打たれればいいのだ。コツンコツンと木槌で殴られるたびに本物の「処世訓」が身についていくものであるとボクは信じる。 人生はマニュアルで動くものではない。出る杭のお陰で頭を殴られて気づくことが山ほどあるはず。これを積み重ねて人は徐々に真の社会人、真の大人に成長していく。

「体験主義」が人を形成していくと言っても過言ではないであろう。

車にはアクセルとブレーキがある。高速走行は気持ちいいものだ。ただアクセルだけの車ほど危険なものはない。コツンコツンの木槌が正に車でいうブレーキなのだと認識すべき。人為的にブレーキをかけられ続けて初めて自分自身でエンジンブレーキなどの高等技術も使ったりできるようになるのだ。

学生は一体に鼻持ちならぬほど尊大である。そして確実に蒼い。どこまでも蒼い。

キャンパスでは「あの単位は蹴ったった!」などという呆けた表現が乱れ飛ぶ。
唯我独尊で自分を天下無敵と信じキャンパスライフを謳歌する。人生のある時期はそれでもいいとボクは思う。

そして本格的な就職活動の時期がやってきて閉鎖された学生生活から「本物の世間」を人生で初めて垣間見ることになり、希望する職種になかなか振り向いてもらえない時に「ん、ひょっとして俺は無敵じゃなかったかも?」とか「束になってかかっていっても歯が立たないものもあるんだなあ。」と慨嘆するときが必ずやってくる。そしてその瞬間に実はほんのちょっとだけ「大人」の仲間入りをしたことになるのだと思う。

ただ、同じパターンが2つとない無限の人生の中には突然変異のように頭を小突かれることもなく学生から社会に躍り出て栄華を極めることになる人生もあったりする。順風満帆の人生が突然変異ではなく自分の才能により創出されていると勘違いするところから人は墓穴を掘り出すのだということを今回の事件は具現している。

アクセルだけの人生ほど恐ろしいものはない。

1月26日(木曜日)

アッと言う間に2年半のご無沙汰で竹仲絵里ちゃんが帰ってきてくれた。昨日リリースのシングル「サヨナラ サヨナラ / gerbera」のプロモーションだけど、今回はコブクロの小渕くんとコラボった作品でまた絵里ちゃんの作品にかける熱い思いがビンビンと伝わってきた。

mawariの頃から数えるともう知りあって6年になる。これからも彼女には温かい歌を歌い続けてもらいたいものである。

1月26日(木曜日)「漁夫の利」

ホワイトバンド。シリコンで出来た何の変哲もないブレスレット。

人の善意に訴えかけ世界中でドッカーンといった。日本では集めたお金が使途不明ということで 物議をかもし出したりしたが、とにもかくにも会う人会う人がさりげにホワイトバンドをしている感じで ドッカーンといった。

軽佻浮薄なまでにファッション化したと言っても過言ではなかろう。
そしてそのホワイトバンドを追いかけて・・・

色とりどりのシリコンバンドがそれぞれに「大上段」の意義をつけられてうじゃうじゃ登場。
そのすべてに「模倣」のかっこわるさを感じてボクは当然見向きもしなかった。

差別化された優れたアイデア、才能は賞賛に値する。
それが今まで無かったものであったり既存の概念の隙間を突いたものであった場合、その賞賛は 最大級のものになる。

そして、それに相対して模倣はことごとく茶番になる。

この論理、例えばゆずがドッカーンといった後の音楽業界、つまりゆずフォロワーが山のように出てきた状況と見事に符合するあたりが、いとおかしく、いと哀れで、いと悲し。

1月27日(金曜日)「早暁の怪 ー続編ー」

今朝早朝、時間にして大体午前4時半ごろの話です。

信号待ちのボクの車の前の横断歩道を齢七十にも届こうかという仙人のような風貌の翁が ランニングシャツ一枚に信玄袋をこうもり傘の柄に引っ掛け飄々と横切っていきました。

たまげました。

 

そうそう、今日番組をしていたらボクの文章が難しいことが多いので注釈をつけてほしいなって メッセージももらいました。自分で調べるこつこつの大切さキープするためにも注釈は これからも多分つけないでしょうが、ここでお遊びでひとつだけ試験をしておきましょう。

今日の雑記の文中に出てくる「齢」って漢字は何て読むのでしょうか?
答えは自分自身の心のノートに書き留めてくださいね。

1月30日(月曜日)

KANちゃんが来てくれた。4年半ぶりくらいに来てくれた。2日連続のライブ明けの朝なのにさわやかに来てくれた。新曲カレーライスの話をちょっぴりと、そして携帯電話における現代人の貞操観念の希薄化状況についてはたっぷりと論を戦わせた。そゆ点では有意義な久々の逢瀬であった。今年はアルバムを作りバンドライブをかますのだそうだ。2006年はまたKANちゃんにとってステキな1年になることであろう。

ボクの番組に出るためにわざわざちょっと派手めのパンツで決めてきてくれたKANちゃんと見事な2ショットを決めてみた。うふ。

1月30日(月曜日)「バーニング・ハート」

技術革新は寸暇を惜しんで突き進み、様々な側面から社会生活をサポートする。

「音声識別装置」もその一種。

思い立って日曜日に映画に行こうと考えた。
映画館にたどり着いて満席だったらボクは性格的に相当立腹してしまう人なので自宅から空席状況を確かめてみることにした。賢明な行動と言わねばなるまい。

電話をかけてみると応答は「音声識別装置」であった。
一瞬頭の中はパニックになったが、「これも省力化による経済効果を高める役割を果たすものなんだろうなあ。」と明晰なボクの頭脳は判断してガイダンスに聞き入った。

冗長に長い前説にちょっとイラッとなったが、珍しく我慢して説明を聞いた。先ず見たい日をインプットするようだ。冷静に「1月29日。」とかなり男前の声で電話口に囁いたら「7月29日ですね。よろしければハイ、間違っていればイイエとおっしゃってください。」とぬかすのでたまげた。

でも我慢して冷静に言い直したら今度はちゃんと識別してくれた。ひょっとすると滑舌関係が下手なのかもしれないので近い内にアナウンサー学校に通おうかと真剣に考えながら次のガイダンスを待った。

次は観たい映画の題名のインプットらしい。この時には自分の滑舌の甘さに気付いていたボクはちょっと緊張したので向こうのガイダンス中に軽く咳払いをしてしまった。そうすっと「Mr.&Mrs.スミスですね?」と題名を言う前に確認してきたのでこの装置は細木数子先生なのかとほんとにぶったまげた。しかもそれは観たい映画ではないし。

間髪入れず「いいえ。」と吹き込んだら自分の思いこみにやや照れたように「観たい映画の題名をおっしゃってください。」と同じ質問を繰り返してくれた。機械とは言え照れるあたりなかなか可愛い女の子のような気がしたのでボクもリラックスができてもう一度題名をしっかりと伝えた。

ほどなく映画の開始時間の空席状況のガイダンスが始まった。お昼前に電話しているのに上映済みの午前のガイダンスから始まったのにはまたまたおったまげた。頭から湯気が シュ〜シュ〜立ち上りだしたが、「後ちょっとの我慢で午後の観たい映画の空席状況が判るんだから。」と自分をなだめたあたりはボクも相当に大人になったんだなあとちょっと目頭が熱くなった。

そしていよいよ鑑賞希望時刻の空席状況が告げられるときがやってきた。ここに至るまでたどたどしい彼女の機械音声に付き合い、しかも自分の滑舌の甘さにまで気付かされながら既に10分近くの時間を浪費していた。そして最後の審判を待つ被告人の心境で沙汰を待った。

「満席です。」

この瞬間ボクは受話器を投げ捨ててしまいたい破壊的衝動にかられてしまったことを懺悔する。

人の気持ちと時間を蹂躙してこれからも技術革新は突き進む。

1月31日(火曜日)「ことわざ」

全体に諺ってのは人の気持ちを鼓舞するために用意されているようなもんで。
そのお陰でおいらたちもなんとかかんとかやってけるんだと思うのよね。

「 千里の道も一歩から」
途方もなく遠くにあると思える目標もコツコツと積み重ねていけば、おまいさんたちでも到達できるなんていいよねえ、ほんとに。言っちゃあ悪いけど、この厭世観漂うご時世になんとも建設的な意見じゃあありやせんか。

「弘法も筆の誤り」
智恵のかたまりである弘法大師さんでもうっかりミスしちゃうことあったりするんで、おまいさんたち庶民がちったあ間違いをしたってどうってことないわけで、ドンマイドンマイなんて言ってくれたりしたらやる気も出るっちゅうもんでございやしょ。

類義語にはウッキッキーと枝から枝をホイホイ飛んで渡ってるおサルさんでも失敗をするんだからおまいさんも落ちていいのよ、数回くらいならという「サルも木から落ちる」や泳ぎのうまい河童さんでも遭難してしまうんだからおまいさんもたまに「ここはどこ?あっしはだれ?」って言ったっていいんだよと慰めてくれる「河童の川流れ」なんて言葉も用意されていて、ほんと「おいらみたいな平凡な人間でもなんとかなるかも?」なんてこういう諺たちは思わせてくれてなかなかいいもんだね、こいつぁ。

ところが・・・・

「少年老い易く学成り難し」
ちょっと待っておくんなさいよ。これってどゆことなんっすか?
孟子だか誰だかしんないけど、オラオラ、とっとと勉強しないとワシ、孟子でも相当のおじちゃんになっちゃったんだからおまいさんたち凡人はホントによぼよぼの爺っちゃんになっちゃうよ、オラオラホレホレって追い立てるのってどうかと思っちゃうわけ。こんなに人生否定的な諺なんてぶつけられた日にゃあ、おいら、知んねえよって、頑なになっちまうってもんでさあ。

(って、まあ、ホントはこの諺もとっても肯定的ないい諺なんだけど、一応こうしておかないと
ボクの今回の雑感雑記が完了しないのでそっとしておいてやってください。)

半年強でプラス8kgsブタになったボクは元のかっこいいおじさんに戻るために今せっせとジムに通っている。有酸素運動のステップを毎回30分踏み続け汗まみれになり、筋トレもウンセウンセと涙ぐましい。

苦しいとき「千里の道も一歩から」を思い出してがんばっているのに、ふと別の諺が浮かんだ。

「脂肪付き易く、それ取り難し」

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