3月2日(木曜日)「メモリー」
ペットは家族の一員。イガイガした心を癒してくれます。効能はよっく知っています。
長い人生で一度だけ犬を飼ったことがあります。貿易をしていた時代だったので70年代後半でした。
海外出張から帰ってきたら母が市場のペットショップで買ってきた雑種の日本犬の子犬がいました。
名前もまだないパピーを見た瞬間、ボクはとても温かく幸わせになりました。
だから彼を Happy と名づけました。
それからの毎日はこんな感じでした。
前足を台所のふちにちょこんとかけて土間から伸び上がって家族の夕食を毎晩ジッと眺める Happy 。
「待て」を覚えさせごはんの時、何度も「待て」をかけお尻ユラユラしだすまで「待て」を続けるいじわるもしました。
桜の季節、近くの万代池公園に散歩に連れて行くと舞い散る桜の花びらを狂喜してくるくる追い掛け回す Happy がいました。
ちょっとした病気ん時にヘタな獣医さんに打たれた注射のせいでその後はナナメになってしか進めないけど、散歩で必死に後をついてくる Happy
もいました。
数年後長いヨーロッパ出張を終えて最終立ち寄り場所のシンガポールにいるとき、Happy が病気で亡くなったことを知りました。
ペットは家族の一員。イガイガした心を癒してくれます。効能はよっく知っています。
でもどんなに幸せな時間を共有したとしても彼らは人より先に逝ってしまいます。周知の事実だけどこのときにその事実を改めて思い知らされました。
それからボクは金魚以外をペットと認めないことにしました。
金魚も先に逝ってしまいますが、直接の触れあいは金魚鉢の水を替えるときに触るヌメッとした感触くらい。これならまだなんとか心の整理もできます。
だから我家のペットと言えばずっと金魚の Happy でした。
1−2年前から犬を飼いたいというオーラが家中に充満するようになりました。
息苦しくなったボクは家長という立場もあるので「認めん!」と毅然と言い放ちその後もずっとそのスタンスは変わらず今に至ります。 いけません、絶対に認めてはいけません。あの悲しさをもう味わってはいけません。「そんな簡単なこともわからんのか!」と家長であるボクは一貫して厳しい態度を取り続けました。
そのスタンスは今も微動だにしません。
んが・・・・
突然パピーが寺平家にやってきたのです。
上記の理由からボクは彼の存在を一切認めていません。家長としては当然の毅然とした態度だと自負しています。
ただ、名前がないのでは、認めていないことを彼に説くときにも具合が悪いので tt と名づけました。
確かに命名はしたものの、ボクは家長として我家にペットは認めていないので首尾は一貫しています。
(ん?しているはずです、多分。)
だから今日もやれやれという気持ちでしぶしぶ帰宅することになることでしょう、きっと。
まっ、ひょっとすると帰宅時間だけはいつもよりも早くなるかもしれませんが。
「ただいま〜♪♪」 |