雑感雑記 #268 269 270 (4/18 19 20/06記)
「蒼き若さの頃」 #1#2 #3
ありえないことが重なって、いきなりオリンピックに出場してしまった町内会のスポーツ好きの若者。それがボクだった。選別を経た優秀な輩が集うのだから必然に近い当然だったのかもしれない。劣等生だった。競争のケツを走るヤツの気持ちを体感した。高津の3年間、総括するとこうなる。
深夜勉強机に向かい、数学の象形文字のような記号を呆然と眺めながら、皆の勉強机の上をコツコツと走る鉛筆の音が聞こえてきたこともあった。一瞬の気のゆるみすら許されなかった。皆、寸暇を惜しんで勉強している。さもなくば天賦の資質の差なのか?努力の限界を見極めることもせず、ひたすら怨み逃げ続けた3年間。
程々に厳格に、適度にまっすぐに育てられた為に自暴自棄も儘ならぬ。遊びたい、さぼりたい。4時限が終了して学校を抜け出し、南海飯店の餃子を貪り喰って家に逃げ帰り「夜、勉強する!!」と叫んで夕食まで昼寝する。「高津は大変なんや!!」と不機嫌に唸り、善良なる母をオロオロとさせる。
薬局で買ったマスクをつけ、当時はパートカラーなどという要所要所のみカラーで、後はモノクロという怪しげなピンク映画の館にドキドキ潜り込む。新世界のジャンジャン横丁をこよなく愛してしまう。将棋会所の乾いた響きの寂寥感、ドテ焼き、モツ煮込みの鋭い匂い、Zボールを読み上げるおばちゃんの声の奇妙なリズム感。その全てが、未だ本物の底辺も知らないくせに、自分は泥の中で蠢く虫だと信じ切っているボンボンをホッとさせる。
皆が小休止をしているような錯覚に陥ってしまう記念祭。3年の時、母にだけは「必ず帰る。」と置き手紙をし、だがそれ以外の誰にも告げずに自主的に記念祭をボイコットして稚内の月を見に行った。鈍行、夜行、そして青函連絡船を乗り継いでの往復3日間の旅。深夜にたどり着いた稚内。そぼ降る雨に月は無かった。日本最北端の秋、最早月はないそうな。駅の入場券を購入する。
蒼い想い出。
高津での3年間。知識よりも人生を学習したのかもしれぬ。高津に入っていなければヌクヌクと見落としていたであろう人生を。 校是のひとつ『自由』。その恐ろしさをボンヤリと認識したのもこの頃かも知れぬ。よく人生を振り返って、もしタイムマシーンがあるならどの頃に戻りたいかという問答が交わされることがある。ボクの場合は高津の3年間を第1シードでお引き取り願う。
ヒロ寺平、現在の生業はDJ。諸兄には軽佻浮薄の権化のような印象をもたれるやもしれない。イントロと呼ばれる数十秒の間(ま)の中に叩き込む語り。そして音楽は直情径行にリスナーの感性に触れる。ジグソーパズルよりも細密に、神経を摩滅させながら都会の時間という空間に絵を描き続けている。それも自分に「さりげなさ」すらを強要しながら。
しぶとくなったもんだ、あの若さの頃に較べて。 2度と戻りたいとは思わぬ過去。焦燥とスレスレの中に生きた3年間。しかしそれが、ディープでヘビーだったが故に、今のボクがたっぷりとあるのでは?とふと思った。でも同時に時が痛みを和らげただけかもしれないと思ってみたりもする。
たくさんの寄り道の末にやっとたどり着いた人生の折り返し点。答えはまだ先。マイクの前で飄々と語り続けていこう。確実に存在したあの若さの頃の3年間を錆び付かせない努力をしながら。
多謝、高津。
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註1(寂寥感=せきりょうかん)
ものさびしいさま。ひっそりしているさま。
註2(Zボール)
大きなドラム缶から空気が上に吹き出ていて舞い上がった色分けナンバリングされたボールがパイプの中を順番に降りてきます。それをお店のおばちゃんが「赤10番の白8番、黄ぃ3番で黒7番」などと独特の調子で歌うように読み上げ、それを聞きながらおじちゃんたちがおはじきをボール紙の上に並べていく遊戯です。早く言えば「ビンゴゲーム」で、おじちゃんたちはボール紙を毎回いくらかで買って見事ビンゴになった場合は相応の「賞金」のようなものが戻ってきていたのでしょう。
今のジャンジャン横丁にはもうありません。残念です。
註3(記念祭)=文化祭のことです。
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3回に分けて読んでいただいたボクの高校時代の「もがき」。
ひょっとすると今もがいているかもしれない諸君にエールを贈る役割を果たしてくれることを期待します。
しがみついて「一生懸命」を忘れなければ、なんとかなります。
なりますとも、きっと。 |