1月20・21・22日(金・土・日曜日)
金曜日の番組終わり、東北の現状をとにかくこの目で見ようと旅に出ました。伊丹からかなり小さいジェット機に乗って約1時間。事前に手配しておいた2日間乗り放題1万円のマーチをレンタカーして小旅行はスタート。
でももう夕方だったので初日、金曜は仙台市に向かい宿を探して土曜・日曜の為にさっさと就寝しました。
土曜日は午前7時半に出発。仙台から約100kmの南相馬を目指して一気に南下しました。そして原発から20km限界の通行止めの場所に到達。
物々しい雰囲気の中、通行許可証を持っている車、警察車両・復興関係車両だけが検問を通り抜けて原発方面に向かいます。とても静かな場所なんだけど、辺りに漂う緊張感のせいでボクは検問に近づくことも出来ずそのままそこを後にしました。
しばらく北上して海岸に向かってみると、そこはもう本当に何もないただただ広い荒れ野原でした。ニュースなどでよく目にする津波にさらわれてめちゃくちゃになった軽自動車が現実のものとしてボクの目に飛び込んできました。また、誰が置いたのでしょう、縁石には津波前までは確かにそこに存在した家庭から探し出された置物がひっそりと並べられて雨に打たれていました。
内陸部を北に上がる6号線に戻るまでこの家の他には本当に何もありません。通行する自動車、自転車も完全に消えた中に立つ交差点の止まれ標識も、そして飴のように曲がったガードレールも虚しさだけを増幅させていました。
仙台方面に後70kmぐらいの所にあった松川浦は日本百景のひとつですがその面影すらなくひっそりとした中に津波の爪痕だけがそのまま残っていました。
絶望にも近い吐息をつきながら車を進めていると目に飛び込んできたのがある旅館の「営業再開」の文字。人のまるでいない場所に変貌してしまった中でのこの心意気。「なんとかしないと!」という意気を感じました。
津波の特徴はことごとく波の高さのところまでを全て持ち去ってしまうところ。上屋も波の高さを超えるところは津波前の状態で残っていました。
何に使われていたのかも判らないものすごく大きなコンクリートの塊がパッカリ割れて放置されていたり、いつも街角で見かける自販機や無茶苦茶になった車やトラクターが一カ所に集められ、そのもの凄い数の屍が、津波の激しさをボクに思い知らせてくれました。
松島最後の散策は瑞巌寺。観光地の中にあっても門を一歩くぐるとそこには荘厳な雰囲気が。雨のぱらつく中たっぷりのマイナスイオンを浴びて散策すると林の中かなり入っていったところに津波到達点のサインが建てられていました。
南相馬まで一気に南下して北上しながら丸250kmを走破した21日土曜日。活気のある観光地、松島で尖ってイガイがしていた気持ちがかなり和らげられてこの日を締めることにしました。
明けて22日日曜日。今日は午前8時出発、一気に北上して石巻市に向かいました。市内に入るやいなやまた悲惨な風景が目に飛び込んできました。ニュースでよく見た津波に打ち上げられた漁船。こんな船があちらこちらに震災から10ヶ月経った今もそのままにされていて石巻一帯のダメージの凄さを物語っています。
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海岸線にまで車を進めてみると本来あるべき場所からかなり離れた所に横にゴロンとうち倒された防波堤。左の画面の右にある黒い土嚢の積まれた場所が本来の場所でそこから数十メートルこのコンクリートの巨大な塊が動いているんです。津波パワーの恐ろしさに胴震いしてしまいました。
そしてまた車を市内方面に向かわせていると・・・・・
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広い道路のもの凄く広い中央分離帯のど真ん中にものすごく巨大な「鯨大和煮缶」の看板がゴロリと横たわっていました。あまりの凄まじさにもう茫然自失。
その真向かいにも津波パワーを思い知らされる建物が。多分3階建てのこの建物、その高さまでこの辺りでは津波が押し寄せたのですね。骨組みしか残されていない建物を見ながら言葉を失いました。
そして最後に見たのが石巻市立湊第二小学校。正門後ろに建つ白い建物の2階窓のすぐ下に津波の線が見てとれます。校舎も1階部分はがらんどうで、もう今は完全に廃墟になってしまっています。この学校から1人の犠牲者も出なかったことを祈り心から手を合わせて石巻港界隈を後にしました。
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石巻を更に北上すること約1時間。今回の旅の最後の目的地、釣石神社に向かいました。1月13日の朝日新聞に写真入りで震災でも落ちなかったご神体の巨石が人気を呼び、受験生らが合格祈願に訪れているという記事があり、もの凄いプラス気運をここに感じたのでぜひ訪れてみたかった場所なのです。
もう河口付近なのでもの凄く幅の広い北上川添いにひた走ります。でも津波のせいでガードレールはむしり取られっぱなしで道路の左を流れる細い川とに挟まれて対向車がやって来たら落ちるんじゃないかとかなり緊張しました。
釣石神社に到着しても橋が流されていて渡れません。大声で対岸の人に聞き迂回路を通ってやっと到着!
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そこには新聞の記事で見たまんまの鄙びた神社が、記事で見たとおりの巨石を山肌からニョキッと突きだしてひっそりとたたずんでいました。
注連飾りのすぐ横の岩にはたくさんの受験生の合格祈願の絵馬がくくりつけられていました。本堂にお参りをと急な階段を登っていく途中にやはり津波到達点の立て看板が。その位置で振り返って写真を撮ってみました。かなりの高さです、やはり。
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津波の影響を全く受けなかった本堂はひっそりと小山の頂きにありました。お賽銭をたんと入れ、ここでボクは祈りました。復興には途方もない時間がかかるだろうけど、日本中の人たちのサポートでとにかく少しずつでも東北のみなさんに本当の笑顔が戻ってきますようにと。
午後2時半発のフライトに間に合うように仙台空港に戻り機内に向かうボーディング・ブリッジから見える管制塔の前をたくさんの飛行機が津波に流されていく光景を思い出しました。でも空港も完全復活して元気です。
東北全体もいつか元気になります、必ず。
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全行程450kmを走り回った今回の小旅行。かなりの距離を今無料で開放されている東北自動車道・三陸道を利用しました。インターでもらう領収書の金額表示は、だから¥0!これでいいのです、出来るだけたくさんの人が復興の為、支援の為、観光の為に東北に向かうことが必要だと強く感じました。
出来ることをこれからもずっと長く継続してやり続ける。
今回東北に生で触れ改めてその意を強くしました。